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価値はいる環境における相対評価で決まると思わされた件

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思ったことを書き綴る。

人は結果や肩書きで判断するんだなと改めて思った。

よくある話で、例えば毎日食べる間も惜しんで勉強した受験期があっても、ほとんどそこに着目する人はほとんどいない。

結局

「大学どこ?」

という言葉以上に掘り下げられなかったりする。

最近でいうと、咳き込んでる人やマスクをしていなかったり、体調が悪そうな人がいたら

「コロナなのかな?」

と思ってしまう自分がいたりもする。

でも本当はただ喘息持ちだったり、元々身体が弱いだけかもしれない。

些細な行動1つで過敏になっている人が今は仕方ないが多いそんな現状かもしれない。

というのはさておき、自分と向き合うことが最近多い。

というのも、職場の人間が自分より10歳以上歳が離れていて、資格を取った自分が目指す税理士という道の延長線上にいる人と話す機会が増えた。

資格を取るまでの過程や、途中で挫折した人の話を聴くだけでもグサッと胸の奥に突き刺さるものが多々ある。

「ここで揺らぐようじゃ覚悟が足りない」

というのは分かっているものの、もう一度やり直すとしたらと聴いたら、

「もう絶対にやりたくない」

と資格を取った人は言う。

今の自分は24歳だが、始める時期はみんな同じくらいだが、人によって際はあれどなんやかんや10年はかかると口を揃えて言う。

そして、人生を棒に降ってきた人も身近にいて、資格を取った人もそこに打ち込んだ時間は色んな物を犠牲にしてきたと言う。

そして、何よりそこで雇ってくれる所長、所属税理士、今働いている税理士も

「もう1回考えた方がいい」

などと言う。

他にも

「若い頃は理想に走ってしまう」

とか

少なからず自分が揺らいでいるのは、考えの根幹の部分だからというのと、未来になりたい像に近い人達に言われる言葉はどうしても心に響く。

元々経営者になりたいとか独立したいと思っていた自分がいたのだが、そこは勿論ぶれてない。

でも、結局自分がしたいのは独立というより、自立という言葉がここに来てしっくりきた。

似ているようで異なるニュアンスで、一人で何かしたいというより、ひとりの人間として責任を持って生きたいだけなんだなと非常に感じた。

そこの延長線上に経営者とか事業をしたいとかそういう欲望が掻き立てられているだけであったのに気付かされた。

今やっている業務内容は凄い好きだし、退屈だと思うかどうかは自分が手を伸ばす範囲を広げれば減る。

厚生労働省管轄の助成金や経済産業省の管轄の補助金の申請をする中小企業の経営者は多い。

そこで

「商工会議所でやってください。」

と投げればそれ以上に業務は増えないし、

「一緒に申請が通るように打ち合わせしますか」

と言えば、業務量は増えるが経営者との信頼も掴めるし話す機会も増える。

まさに今新型コロナによって、有名なので言えば金融庁の無利子の融資、他にも厚生労働省の雇用調整助成金や経済産業省の持続化給付金などがある。

これら経産省の補助金は応募枠のようなものがあり、ある意味プレゼンで勝った人間が補助金を受けられるようなケースが多い。

逆に厚生労働省の助成金は、ある規定に当てはまっていれば申請が通るという話をよく聴く。

そういうところへ立場を活用して、行こうと思えば行けるのは、自分が仮に会社を持ったとして国の制度を使えるか使えないかでやれる幅は変わってくる。

今回もコロナによって、雇用調整助成金は会社負担の休業手当も一部負担してくれたり、持続化給付金はコロナの影響で売上が下がれば中小企業は200万円、個人事業主は100万円を限度に補ってくれるなど度々補正予算案は打ち出されてはいるものの話が進んできている。

そういった業務を活用した上で、中小企業の動向を追いながら、国の動向も追える楽しさや学びがあることに対して全くの不満はない。

とりあえず、進む道を変えるというより、ゴールは同じなんだけどゴールに辿り着くためのルート変更はありかもしれない。

「どうやって今いる環境で希有な存在になれるか」

「日々の生活に満足とは言えなくても不満はない状態に持っていけれるか」

ここに焦点を絞ったとき、今後自分のキャリアも含めてどうやって前に進んでいくかまとまったので、新型コロナに負けずに頑張ろうと思う。

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