自分が変われば周りとか関係ないと思ったりする時がある。
でも、今自分がこうやろうとかこうしようという思考を振り返ると、誰か以前話したことがきっかけだったり、一緒にどこかに行った時の経験だったりがその思考の前提にあったりする。
勿論、自分1人での経験が今の思考の前提である時もあるかもしれない。
でも、その経験も近しい人がそのとき居なかっただけで、人が関わっている経験であることがほとんどであると思う。
結論何が言いたいかっていうと、いる環境が思考を作っているという話である。
もしかしたら、当たり前だろって思うかもしれない。
もしかしたら、なわけないじゃんと思っているかもしれない。
結論は正直なんでもいい。
実際、周りからの影響の受け具合は、自制心の問題でもあると思っているからである。
普遍的な答えは出ないかもしれない。
ふと、自分が周りの影響を受けやすいなーって思うのは何故か考えると意外と理由は一言でまとまる。
ただ知らないことを知りたいという知的好奇心である。
でも、綺麗事だなと思う人もいるはずである。
もっと深く掘り下げると、
知らないことで大きな失敗を過去にして、自分の無知であることにコンプレックスを持っているゆえに、知らないことが怖いというのが嘘偽りがない本音の部分である。
それゆえに、近しい間柄の人はと性格が違う人や、趣味が違う人、目指す道進んでる道が違う人、過去の育ちや環境が違う人、好みが違う人、得意なジャンルが異なる人は非常に刺激がもらえるし、発想のきっかけになることが多い。
実際は、そんなロボットじゃないから、損得だけで生きてるわけじゃないわけで、一緒にいて面白いとか、ストレスフリーだからとか、色んな理由はあるけど。
そもそも、興味があるないって好きか嫌いかではなくて、その内容について考えてしまうかどうかだと思っている。
知らないものはそもそも興味があるかどうかも分からないわけで、知るきっかけが必要である。
じゃあYouTubeとか本とか読めば知らないこと知れるじゃんと思うかもしれない。
調べられる状況の時点で、自分の中で認知している事柄なので、今言いたいのは調べる事柄としてそもそも浮かばないものについて言っている。
何が言いたいのか分からなくなったし、眠たくなったのでここで終了。
コメント