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槇原敬之の覚醒剤所持からふと思う善悪の必要性

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槇原敬之覚醒剤所持をしていたことで、

覚醒剤取締法違反の疑いにより、逮捕されたというニュースを見た。

このニュースをみて、あの国民的大スターが覚醒剤もっていたのかー

と自分を含めて少なからずマイナスのイメージが世の中に蔓延すると思っている。

ちょっと考えてみると、

善し悪しの判断をするときは

無意識に決めている部分があるが、

何か基準をもっているから善いとか悪いとかを判断しているはずである。

今回のケースで言うと、

法律に忠実な人間がこのニュースを見たということを前提とすると、

法治国家であるこの日本で法律を犯したから、

罪人ということで悪人として見立てているのだろうか? 

そういうのは関係なく、逮捕という言葉自体がそもそもマイナスのイメージがあるとしたら、

この逮捕されたという言葉から

先入観で悪いイメージを

つけているのも否定できない

他にも、元々槇原敬之に対して良いイメージを持っていたから、

その良い基準というのがあって

悪い情報が流れるとその良い基準とのギャップ

悪いという評価をしているのか?

ん~、、この善悪をつけたところで

何か価値があるのかも分からないのに、

不思議である。

でも、善悪をつけることで、何か行動する際に、

決断をしやすくなっているのも一理ある。

善悪がなければ物事が並列に見えてしまい、

極端な話、判断をすることができなくなるだろうし、

判断が仮にできたとして、人を殺めることも何も感じないのであろう。

これを前提にマクロに物事を考えてみると、

善悪は秩序を保つためにあるのだろうか? 

全員が善悪がない状態で生きているとすると、

みんながみんな人を殺め始めたら

混沌とした世界になるかもしれない。

そう考えると、秩序を保つためというのは

一つの論理として少しは納得がいく。

元々評価が高い人間が覚醒剤を持っていたから逮捕されました

という事実から、法治国家であることを知らしめたり、

覚醒剤を持つことは悪いことだと伝えたり、

秩序を保つための行動としては筋が通る。

まあ単純に、ニュースを流すのは民間企業だから、

お金目的で人が集まれば何でもいいのかもしれないだけかもしれないが、

正直書き終えて、読み返したら意味わかんないことを

書いている可能性もあるが、

気にしない。。。 

 

 

 

 

 

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