スポンサーリンク

「1+1=2?幼少期の意地悪な人を退治するの巻」を読んで感じたこと。

ノンジャンル

「等号の定義は左右が等価であること。」

これは数学上ルールで決められていることであり、数学の世界に於いては「2」以外の解答はあり得ない。

あえて強調させてもらえば、「数学の世界」の話である。

世の中にもこのような前提が法律という形で存在している。

しかし数学の世界と異なり現実というのは、単純でもなければ、明確な答えが出てくるものではない。

等号の定義は絶対的なものであるが、法律は絶対的ではない。

故に法律をどのように解釈するかということで裁判が行われる。

その結果が判例という形で世に出回り、法律の解釈の方向性が示されていくのである。

このような尊い過程により人間の善に対する妥協点が日々探られているというにもかかわらず、愚かな者はそれを踏みにじってしまうのである。

 

 

 

法が人を守るのか、人が法を守るのか。 

これが書きたかっただけ

 

 

 

子供は「1+1=」の問いに対して、「田」、「4」、「古」などと答えるのは経験の少なさ故である。

しかし、大人になって「2」以外の解答をする者は、ただの愚か者か天才のいずれかとなってしまう。

 成長するにつれ「2」 と解答できるようになるのだろうか。

「2」としか解答できなくなったのだろうか。

どちらの表現が正しいのかはわからない。

物事は表裏一体なのだ。

世の中には天才という言葉はありふれているが、本物の天才というのは、このような常識を根本から自分を偽らず、飾らずに否定できるものだと思っている。

残念ながら世の中は虚構に彩られすぎていると感じる。

コメント