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「クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲」を号泣しながら見て考察したこと

アニメ・ドラマ

突然昔のアニメを見たくなることってあると思う。
それが今日私に降りかかったこと。
というより私は自分が幼少期に見ていたアニメを見て懐古するのが好きなので、今日も同じように見ていただけなんだけど。(またその話は追い追いするとして)

じゃあ今日は何を見ようかって思った時にふとアマプラで目にしたのが

「クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲」

でした。

 

「なつかし〜〜!そういえば金曜同期で飲んだとき話題になったわ」

と思い見ることにした。長さは90分、2001年、私が4歳のときの作品。

 

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あらすじ 

春日部で突如開催される「20世紀博」。昔のテレビ番組や映画、おもちゃに惹きこまれていくオトナたち。実はこれは、「ケンとチャコ」というリーダーによる「オトナ帝国」化の計画だった。それを阻止すべく「オトナ帝国」へ向かう子どもたち、そして「ケンとチャコ」とたたかう野原一家。

 

個人のアイデンティティの揺らぎ

しんのすけがひろしに自身の靴の匂いを嗅がせた時に言った「父ちゃんは父ちゃんなんだよ」

この言葉がなぜかすごく心に刺さってしまって。

家族を持ったら「お父さん」「お母さん」になってしまうことってあると思う。自分の両親を見ていてもそう思うし、自分から見たら両親は両親としか思えなくなる日がある。
「大人」と一括りにしてしまうけれど、各個人にアイデンティティは必ず存在する。 このときひろしが、自転車で父親の後ろに乗りながら過ごした夏や田舎での生活・上京して仕事を始めてみさえと出会ってしんのすけが生まれて、と邂逅するシーンでそれを認識する。

ひとりひとりに存在する人生は、多くは語られないし小さいし大したことなんてないけど、それはその人自身をつくりあげたもの。

家族を持つことで(とは限られないかもしれないが)、それが揺らいでた大人たちをひとりの「人」として認識できたシーンだったような気がした。

 

「あの頃」には戻れない、というもどかしさ 

誰でも懐かしさに囚われ、愛し、それを「古き良き時代」と思うことはあると思う。

例えば「三丁目の夕日」なんかも同じような哀愁を伴いながらその時代を描いている。平成1桁生まれの私だが、確かに「昔」は活気に溢れ、何もかもが新しく、新鮮であったように思う。

さらに、子どもの頃は夢に溢れ将来への希望があり、大人になったら何でもできると思っていた。

でもいつしかその気持ちが薄れて、「〇〇になりたい」だとか「〇〇してみたい」という夢は小さくなって、「とりあえず安定した生活をするために」就職した。自分が将来どういう方向性に進んでいくのか、この国はどうなっていくのか、分からず一抹の不安を抱きながらもしょうがないその場しのぎの生活をする。

平成という時代が終わり、自分の青春すらも終わってしまったようにも思える。

無邪気に笑い、今日は何をして遊ぶかしか考えていなかったあの頃。 学校が終わったらすぐに近くの公民館に集まって、近所のおじいちゃんから飴をもらって頬張ったあの頃。人間関係で悩んで下校途中の川辺で、暮れていく夕日を見ながら友達に相談したあの頃。断片的ではあるけれど、「あの頃」を全力で生きてきた私たちが、「あの頃」を思い出し懐かしみ慈しむのは当然だ。

22歳という年齢は「大人」と呼んで相応しいか分からないけれど、この歳になって友人と集まって昔読んだ漫画の話をしたり、当時流行った物事について語ると何とも言えない安寧に近い感情を覚える。「あの頃は楽しかったよね」と不意に口から出る言葉。もう一度あの頃に戻りたいと思うことはあると思う。やり直したいこととか、日が暮れるまで遊びたいとか、あの頃の匂いをもう一度かぎたいとか。

でもこの映画を見て、「あの頃」に縋っているだけじゃダメなんだと思った。

最後のチャコの「死にたくない」という言葉は、

「過去に囚われないで前に進みたい」

という感情の現れではないかと感じた。

平成が終わって令和が始まって、不安でしょうがない。自分が選んだ道が正しいのかが分からない。
でもそんな時代を私は生きたい。一生懸命、もがきながら生きてみたい。
怒ったり泣いたり笑ったりしてみんなと一緒に過ごしたい。

しんのすけの「ケンカしたり頭にきてもみんなと一緒にいたいから」

彼の向いている先は常に未来。彼の発した「大人になりたい」という強い意志。
大人になって失くした何かをまた見つけたい、と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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